糸満市の平和祈念公園に移動したハンスト会場。1日目の6月21日は、小雨が降ったりやんだりの空。蒸し暑い気候を体で感じながら、沖縄戦当時も同じだったのかなと76年前におもいをはせる。
厚生労働省より 戦没者DNA 鑑定のお知らせ pic.twitter.com/p0RTq5liA9
— 沖縄戦犠牲者の遺骨が眠る土を辺野古の埋め立てに使わせてはいけない (@ikotsuhakataru) 2021年6月25日
城間恒人さん
城間さんは、沖縄戦で父親と8人の兄妹を亡くしておられる。うち3人の兄妹の遺骨は今も帰ってきていない。「あの土砂の中に3人の遺骨が眠っているかもしれない。そう考えると辺野古の埋め立てに使うなんて絶対許せないですよ」と話してくださった。
具志堅さんは、「この城間さんの話を聞くだけでも、遺骨混じりの土砂を基地の埋め立てに使ってはいけないとおもうんですよ(大意)」と。(ほんとにそうだ)
城間さんは、目の前で2歳の妹を日本兵に殺され、父親と姉ふたりを銃で撃たれる(アメリカ軍に)という体験もされている。わずか5歳の子どもが、自分の家族の死を、しかも殺された死を自分の目で見て体験させられてしまったのだ。
戦争の中の戦争。その視線の先にあった史実の重さにうなだれてしまう。
城間さんの話を聞くと、見えない銃で打たれたような気持ちになる。もうこのまま眠らせてくれないかなともおもう(逃避願望炸裂)。「運転手さんそのバスに僕も乗っけてくれないか 行き先ならどこでもいい(「青空」THE BLUE HEARTS)」とか歌い出して。
土砂の中に沖縄戦で亡くなった人の骨がどれくらい存在するのかはわからないけれど、それがひとりの方の人間の骨であっても小指の先の骨ひとつであっても重みは同じなのではないか。
手のひらのすきまからこぼれそうな小さな骨のカケラが目の前にあったとして、それは生命(せいめい)のカケラなのであり、大切に両手でそっと包み込むべきもののはず。重機で掘り返すなんてずいぶん乱暴だし、ダンプの荷台から海に放り投げるなんて気が遠くなる話だなとおもう。
「青空」(THE BLUE HEARTS)の別バージョンに、「安っぽい神様たちが 君をめくらにするだろう 眩しいほど 青い空の 真下で」という歌詞がある(真島昌利 作詞)。安っぽい神様たちにめくらにされているのは、いったい誰なのかとおもう。(※一部過激とされる単語がありますがここでは使わせてください)
「平和の礎」は、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年記念事業の一環として、国籍を問わず、また、軍人、民間人の別なく、全ての戦没者の氏名を刻んで、永久に残すため、平成7年(1995年)6月に建設したものです。
「平和の礎(いしじ)」には、生まれたところや皮膚や目の色に関係なく沖縄戦で亡くなった方の名前が刻印されている。その数、241,632人。想像を超えていてうろたえる。